「出ていけ~!帰れ!もう来るなぁ!」。その声は暗い部屋の奥から響き、のぞき込むと杖を振り上げてこちらを睨みつけるAさんの姿。その後も「帰れ~来るな」と何度も叫ぶその形相は、まさに般若(はんにゃ)のよう。50年前、愛する一人息子を亡くし、その悲しみとともに生きてきたAさんは、訪問看護師の私に荒れ狂う感情をぶちまけていました。この出会いが、私の看護師人生に大きな影響を与えることになるとは、当時はまだ想像もしていなかったのです。
時間が止まった過去と向き合う部屋
リウマチの悪化と腰痛で外出や通院が困難となった80代女性のAさん。
訪問看護の介入が始まった当初、独居生活だったAさんの自宅は、まるで時間が止まったタイムカプセルのようでした。Aさんが30代の時に、まだ学生だった一人息子を事故で亡くされたそうです。薄暗い居室の本棚には、茶色く変色した70年代の少年漫画がずらりと並び、壁には剥がれかかったロックバンドのポスター。錆びついた自転車が静かに置かれ、勉強机には学生服姿の遺影。そこは、Aさん親子が過ごした温かい日々を感じとるには、長すぎる時間が経過した空間であり、Aさんの怒りの形相と同じくらい怖さを感じる部屋でした。
初めて訪問した日の私は、その場の空気に圧倒されながらも、ただ刺激しないように、淡々と訪問看護の業務をこなすことしかできませんでした。
怒りの裏側の思いは愛情
何度か訪問するうちに、Aさんの怒りの矛先は、自宅からの退居や入院・入所を提案するモノに向けられていることがわかってきました。同時に、体調管理や生活支援には、優しい表情で感謝の言葉がもらえることに気づいたのです。
そんなある日、Aさんから
「私が家にいられなくなったら、息子がいたことは残らない。息子が生きた証を守りたい」
と打ち明けられました。
その言葉を聞いた時、Aさんの怒りの根底には「息子と生きた自宅で生活がしたい」という深い愛情だったとわかり、私は、Aさんに「息子さんと過ごしたこの家で1日も長く生活できるようにお手伝いしますね」と伝えることができました。
人生を語り合える信頼関係に成長
「自宅で生活したい」Aさんは「人の助けを借りずになんでも自分で」という思いが強く、痛みをコントロールするための定期通院や必要な治療薬の服用、リハビリにはとても意欲的でした。自宅で独居生活を続けていくための通院介助や服薬管理、入浴の見守りなどのケアは、穏やかに受け入れてもらえるように。訪問回数を重ねていく中で、息子と別離したあと悲しみや悔しさ、自責の念を抱えながらも、ひとりで頑張って生き抜いてきた生活歴が見えてくると、私はAさんのことをもっと知りたいと思うようになりました。
初回訪問の日から大きくは変わらない古臭くて怖い息子の遺品たち。その一つひとつにもAさんの愛情を感じられ、いつしか私にとっても一緒に守るべき「宝物」に変わっていったのです。そして自然と息子さんとの思い出を聞くことができるようになりました。Aさんには「いつも話を聞いてもらえてうれしい。次来るのはいつ?」と言ってもらえる関係に。Aさんが語る人生の物語は、あちこちにユーモアと深い愛情、息子のために生きる母の強さが感じられ、私の心を温かく満たしてくれました。出会いの頃に感じていたAさんへの恐怖感はなくなり、面識のない人の来訪時に時々見せる般若の形相も、Aさんの一部として捉えられるようになったのです。
そんな時、Aさんが、私にこんな言葉を掛けてくれました。
「あなた、子どもは褒めて育てなさいよ。お母さんの誉め言葉で子どもはぐんぐん成長するのよ」「上手にできたね!お母さんより上手ね!もっとやってごらんって、見守ったらいいのよ。子どもの成長ってすごいのよ~」と。
最愛の息子の命を守れなかった自責の念と消えない後悔の中で生きるAさんの前では『子育ての話』は禁忌だと思い込んでいた私。Aさんの穏やかな言葉と、子育てを振り返る優しい笑顔に母の偉大さを感じました。その日を境にAさんは、私にとって子育ての悩みを相談できる人生の先輩となったのです。わが子の成長をともに喜んでくれるAさん、またひとつ、子育てという共通の人生経験がAさんと私の心の距離を縮めてくれました。
まとめ
訪問看護は、利用者の生活全般に関わることが多く、入浴や排泄の介助以外にも、食事の準備や掃除、買い物、通院など日常生活もサポートします。生活行動を通して、利用者の生活リズムや価値観、人生の物語まで深く知ることができ、楽しみや喜び、悲しみ、不安なども共有・共感しながらより深い信頼関係を築くことができます。
般若の面をつけたAさんの怒りの奥底には、深い愛と喪失感が隠されていました。そして、その愛こそが生き抜く力になり、大切なものを守る強さと、生活のために必要なサポートや介入を温かく受け入れる優しさだったわけです。
初回訪問の日、薄暗い部屋の奥から聞こえてきた、Aさんの怒りの形相と暴言に恐怖を感じながらもなんとか平静を装って挨拶し、歩み寄り、名を名乗り、バイタルサインを測定したいと話かけながら、体調や生活の情報を探った私。「また来ますね!今日はありがとうございました」と作り笑顔でしたが「拒否されたと逃げ帰らずに精一杯ケアしてよかったよ!」と言いたいです。「今日は怒られないかな?」とドキドキしながら玄関を叩き、訪問を繰り返していた頃の自分にも「大丈夫、この人は愛情深く優しい方。子育てや人生の教訓をくれる尊敬できる人。」と伝えたいです。
この経験を通して私は、今一瞬の表面上に見える姿だけでなく、人生の物語を少しずつ深く知ることで信頼関係が生まれ始めることを学びました。
Aさんとの出会いは、看護とは、単に医療的なケアを提供するだけでなく、利用者の人生に寄り添い、その人らしい生き方を支えることだと、改めて実感することができた大切なエピソードです。出会いは、いつも私を成長させてくれます。これからも、一人ひとりの利用者と向き合い、その人らしい人生を共に歩んでいきたいと思います。
リフレーミングコラムとは?
このコラムでは、看護職としてお仕事をしている皆様のなかで、心に残るエピソード、もっと上手く対処したかった悔しい経験、今だからクスッと笑える話を共有し、前向きに昇華したいと考えています。日々積み重なっている思いを同じ職種だからこそ分かち合える「看護」という共通言語でつづり、皆様にとって何かの助けになることを願っています。
ライタープロフィール
【みずいろ】ナースLab認定ライター
看護師歴は20年以上。病院勤務(呼吸器内科6年、神経内科2年) 、デイサービス、訪問入浴、訪問看護を経験。現在は子育て時間を優先するためライター活動を中心に時短勤務中。
ナースLabホームページ:https://nurselab.net/home