お菓子の差し入れ
悪性リンパ腫で化学療法を続けていたBさんは、高齢で小柄な男性です。手足を自由に動かすことはできるものの、一人でベッドから起き上がるのは困難な状態でした。
治療する中で誤嚥性肺炎を繰り返していたため、食事の際は車椅子に座って、とろみをつけたものを食べていました。嚥下機能が低下していたため、あまり声を出すことができず、少し認知症の症状もありましたが、表情や仕草でコミュニケーションがとれていました。温和な性格で、愛嬌のある笑顔はいつも周りの人を癒してくれています。
Bさんの奥さんは毎日のように面会に来られ、Bさんのために必要なものはすぐに用意してくれていました。
ですが、看護師からの提案をひとつだけ聞き入れてくれなかったことがあったのです。
それは、お菓子の差し入れです。

Bさんは誤嚥性肺炎を繰り返しており、むやみに食べ物を摂取すると、また誤嚥する可能性が高い患者さんです。医師から奥さんへ誤嚥の危険性があることは説明していましたが、奥さんはお菓子の差し入れをやめませんでした。とろみをつければ少しずつの摂取は可能でしたが、Bさんはお菓子にとろみをつけるのを嫌がり、どうしてもそのまま食べたがります。
ある日、なぜ誤嚥する可能性があるのに差し入れをするのか奥さんに尋ねると、こう返ってきました。
「あの人はお菓子が大好きなんです。
入院も長くて、治療が続く中で、
せめてあの人のささやかな楽しみだけは
取り上げないでほしいんです。」
そう懇願する背の曲がった小さい奥さん。頻繁に病院に来ることは、ご高齢な身体では決して容易ではないはずです。たとえ体にはよくないとわかっていても、ご主人に少しでも好きなものを食べさせてあげたいと願う愛情が差し入れにこもっていることは、その言葉だけで十分に伝わってきました。
それでも、やはり入院中の患者さんです。誤嚥のリスクを避けるために、差し入れられたお菓子は目につかないように看護師がベッドサイドの引き出しにしまっていました。
ある夜の巡視で

そして事件はおきました。夜中にこっそりお菓子をつまみ食いしているBさんを発見したのです。ベッドサイドの引き出しが空いており、ベッドの上から手を伸ばして出したようでした。見つけた瞬間のBさんは、少し焦った様子でしたが、表情はなぜか明るく、お母さんに今からちょっと叱られるとわかっている子供のようにさえ感じるものでした。
幸い誤嚥した様子はなく、ケロっとした表情のBさん。もし誤嚥していたらという緊張感がほぐれ
「も~、Bさん。
横になりながらお菓子を食べて、
喉に詰まったら大変ですよ。」
と私が言うと、Bさんはいつもの屈託ない笑顔を一段とほころばせ、いたずらっぽく笑ったのです。その笑顔に私は思わず「しょうがないなあ…」と一緒に笑っていました。Bさんの無邪気な笑顔には、何とも言えない可愛らしさが入り混じっていました。
人生の幸せな選択とは…?
その後、Bさんが一人で取り出せない場所へお菓子は移動されましたが、奥さんがお菓子を差し入れする日々が変わることはありませんでした。Bさんはその後も長らく、回復と悪化を繰り返しながら治療を続けましたが、病院で静かに息を引き取られました。
治療中、最善の方法として嗜好品を禁止することがあります。ですが、もし1人の人間として関わるなら?もし家族だったら…?そう考えると、奥さんの行動や、Bさんがこっそりつまみ食いした夜中の出来事は、人生という大きな枠組みの中では、幸せな選択だったのかもしれません。周囲に愛されるBさんの、笑顔を絶やさない無邪気な振る舞いは、Bさんにとっての幸せな人生を歩んできた証だったのではないでしょうか。
看護師を続けてきて、医療者の視点からの正論は、時に本当に相手にとってベストな選択なのだろうかと感じることがあります。人生という大きな枠組みの中では、患者さんにとって「幸せな選択肢」は他にも無数にあるのかもしれません。
医療に携わっていると、そんなことを感じる瞬間、皆さんにはありませんか?
「幸せな人生とは何なのか」もしかすると生きていくなかで問い続けるものなのかもしれません。そんな答えの見えない問いに、時には悩むこともありますが、相手の命や人生を精一杯想い、寄り添う機会のある看護師という仕事。そんな奥深い日々を味わうこともまた、私たち看護師の幸せな人生の選択に繋がっているのかもしれませんね。
リフレーミングコラムとは?
このコラムでは、看護職としてお仕事をしている皆様のなかで、心に残るエピソード、もっと上手く対処したかった悔しい経験、今だからクスッと笑える話を共有し、前向きに昇華したいと考えています。日々積み重なっている思いを同じ職種だからこそ分かち合える「看護」という共通言語でつづり、皆様にとって何かの助けになることを願っています。
~ライタープロフィール~
【牧平真季】ナースLab認定ライター
総合病院で内科系、外科系、ICUなどのさまざまな部署を経験。家族でアメリカに4年半滞在後、気持ちが満たされる働き方を実現するために心機一転。現在非常勤の訪問看護とwebライターの仕事に取り組んでいる。
看護師による看護師のためのwebメディア「ナースの人生アレンジ」